戦乱の世が終り、人々の生活にゆとりができた江戸時代に本邦の花卉園芸は発展し、徳川二代将軍秀忠が好んだといわれるツバキ、またボタンやツツジ、カエデ、ウメ、サクラ、キク、ハナショウブなど数多くの観賞価値の高い園芸品種が生み出され、現在、世界各地に普及しています。
一方、自然や栽培下で現れた白花や斑入り葉など通常とは異なった形態の突然変異を見出し、珍重するという独自な発展を遂げたアサガオ、ナデシコなどの「変わり花」(奇形花)や、オモト、ヤブコウジ、カラタチバナ、ナンテンなどに見られる斑入りやねじれた葉、矮小、枝垂(しだれ)といった奇妙とも思えるほど変化した形状は「芸」と呼ばれ当時は珍重されましたが、現在は趣味家や生産者によって保存されているに過ぎません。しかしながら、これらの植物は絵画や美術工芸の意匠、文学、華道などの文化に大きな影響を与えました。
京都や大阪、江戸など大都市圏の園芸に関する資料は数多くある一方、地方の状況となると、どのような植物が栽培されていたのかを知ることのできる資料はごくわずかです。
享保20年(1735)、江戸幕府は各藩に産物調査を命じました。これは、本草学者である丹羽正伯が中心となって行った未曾有の規模の調査で、作物、薬用植物、園芸植物、動物、昆虫、魚、鉱物などの名称と特徴、また幕府で把握できないものについては、図を提出させるなど、徹底したものでした。現在、各藩から提出された産物帳は見つかっていませんが、控えが各地で発見されています。
新潟県では次に述べる「越後名寄(えちごなよせ)」と「佐渡志」が残っており、これを調べることによって当時の県内の園芸植物の栽培状況を知ることができます。
牡丹百珍譜に描かれた江戸時代のボタン‘綾羽’
江戸時代から愛好される古典園芸植物オモト
ヤマツツジの突然変異品種と
考えられる‘金蕊’(きんしべ)