にいがた花物語

新潟県立植物園
history 4 ヤブコウジArdisia japonica

 

 新潟県では倒産者や家財を傾ける者も多くあり、さらに他県にもブームは波及しました。当時の園芸雑誌に取り上げられたヤブコウジの記事には、「関西各地至る所愛培家を続出し迎いて中国四国九州の辺僻に及ぼせり・・・」、「紫金牛(やぶこうじ)の流行に就て一言す 流行物即ち人気物は非常の盛衰を来すは必ず衰うの理にして・・・」(日本園芸会雑誌 明治28年)、「種類は百種に至る(中略)明治二十五六年頃より越後地方に流行し終に全国に及へり七福神、干網、日の司の類は展芽一鉢数百円の売買在り・・・」(日本園芸会雑誌 明治33年)など流行の大きさや売買への警告の内容が見えます。

ヤブコウジの名鑑
明治30年に三条市保内で発行されたヤブコウジの名鑑

紫金牛取締鑑札
紫金牛取締鑑札

 事態を憂慮した新潟県は、明治29年に「ヤブコウジの売買に狂奔するために、農家は田畑を荒し、実業家は商売を省みないので注意すべし」との内容の知事諭告を発しました。しかし、一向に取引は止まなかったため、翌年には「紫金牛売買取締規制」が発布されました。これによって売買は鑑札によって許可され、取引場所の指定や売買内容の届出が義務づけられました。しかし、これを不満とした有力者が県当局に自由売買の嘆願をした結果、1年後に「取締規則」は廃止されました。その後も、ヤブコウジは人気品種の変遷を経ながらも盛んに売買が行われたようで、明治末期には小合村で100品種のヤブコウジが栽培されていた記録があります。
 この狂乱によって社会は混乱に陥ったのですが、一方では新潟の花卉生産者が植物も巨利を生む可能性があることに気づき、チューリップ球根やアザレア、シャクナゲ等の収益性の高い植物が積極的に導入され、後にそれらの産地として大発展するという結果をもたらしました。

日之司
新潟県に狂乱を呼び起こしたヤブコウジ。往時最も人気の高かった‘日之司’

白王冠
‘白王冠’

辻ヶ花
近年、新潟市の育種家である木口一二三によって発表された‘辻ヶ花’

天の川
‘天の川’



history1   1   2
ページのトップへ