にいがた花物語

新潟県立植物園
history 4 ヤブコウジArdisia japonica

 

 ある特定の植物が流行することは古今かわりはありませんが、時としてそれが狂乱を呼ぶほどに爆発的な勢いをもつこともあります。
 ヤブコウジは新潟県にも自生する匍匐する常緑潅木で、万葉集にも「山橘(やまたちばな)」として詠まれているなど往古より親しまれてきました。また、現在でも常緑の葉と赤い果実は縁起を祝う植物として正月の床飾りや寄せ植えとして用いられています。
 江戸時代、享保(1716〜1736)末ごろにはじまった斑入り植物の人気に乗じて、ヤブコウジも葉に斑の入る変りものが寛政年間(1789〜1801)に京都で流行し、次第に江戸にまで広がりました。

江戸の熱狂再び 新潟ヤブコウジ事件

 江戸時代から百年の時を経て、明治20年ごろに小梅村(現新潟市秋葉区)を中心に流行が再燃しはじめました。明治27年には日清戦争に勝利したことで好景気が訪れるだろうとの予測からヤブコウジの売買が県内で過熱し、投機の対象として生産者や趣味家だけではなく一般市民も巻き込んでいきました。最も価格が高騰した明治29年の価格は、現在の価格で、一番の人気品種‘日之司’の3年生以上の株が1,000万〜1,300万円でした。中には1鉢2000万円で購入されたことも記録されています。

ヤブコウジ栽培

ヤブコウジ栽培

明治41年の新潟でのヤブコウジ栽培(実際園藝 昭和9年)

ヤブコウジ
県内にも自生するヤブコウジ

コンペ
斑入りヤブコウジの葉から突き出た白い部分「コンペ」。「コンペ」の名は、菓子のコンペイトーのように白くて丸いことから。



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